「(日中半世紀 未完の正常化)・・朝日新聞2022年7月19日」を読んで、
2022-07-26


そもそも理性的に考えれば人間個々人が真の意味で心から分かり合えることは基本的にはない、たとえ親兄弟や子供であってもだ。哲学者ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)がジャストローの絵(ウサギに見えるアヒルに見える)を使って説明したのはそういうことだと思う。言い換えれば個々人の心象風景は一人ひとり皆違っている。逆に言うと分かり合えたと幻想を抱きすぎると、次に待っているのは、その幻想と現実の衝突であり幻想の破綻である。極端になれば、感情のぶつかり合いや認知のすれ違いで殺し合いである。親しき中にも礼儀あり、はその警告である。小異を捨てて(残して)大同につく、も同じであろう。2500年前の孔子や釈迦の時代より理屈ではわかっていたことである。同じ2500年前の孫子の「呉越同舟」も分かり合えなくても最低限共存を図る、そのためには手を結ぶという意である。それでも人類はわかっちゃいるけどやめられない、と世界大戦までは同じ殺戮を繰り返していた。さすがに大戦以降は国同士の殺し合いは止めようと共通認識を持ったと思っていた。しかし、今回のウクライナ侵攻で覆ってしまった。
(2022.7.28.一部追加)。

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