決断できる知事、できない知事、新型コロナ第3波で、
2020-12-15


決断できる知事、できない知事、新型コロナ第3波で、

 いつもは気にも留めなかったことが新型コロナ感染症パンデミック第3波を迎えて、図らずも明確になった。明らかに先手先手で主体的に動いている、あるいは動こうと努力している知事がいる一方、目先の圧力に抗うことなく或いは国のせいにして動こうとしない知事がいる。賢いというか狡いというか、本来はどちらが正しいのか考えてみた。

 前者は大阪の吉村知事、北海道の鈴木知事である。結果的にどうなるかは別としてリーダーとは本来はこうあるべきと考えるのが普通と思う。 知事だけでなく、県議会も、福岡県のように「感染経路調査、拒否なら罰金 福岡県議会が異例の条例案、[URL] 」と自主的に動いている県もある。

 しかし歴史的に見ると、結果的に経済がダメになるのであれば、知事のせいにするか新型コロナのせいにするかの違いだけであって後年に結果論の解釈遊びで終わることになる。

 だとすれば、敢えて決断して、GOTOトラベルGOTOイート推進派から等の圧力を跳ね返してまで敢えて決断する意義が果たしてあるのだろうかとも思ってしまう。決断しなくても、目先の圧力に負けてのらりくらりと決断を先延ばししていればいずれは必然的に国があるいは国民がコンセンサスの方向に動いてくれる。それまで待つのが賢いやり方なのかもしれない。
 
 リーダーとして決断できることは、直感的には良いことだと思う。目先の圧力に負けないで決断できることは立派と思う。しかし良く考えてみると本当に賢いやり方なのであろうか。歴史的にみると結果は悪い場合と良い場合とがあるような気がするのでちょっと調べてみた。

 新型コロナの「アベノマスク」と揶揄された安倍元首相の決断、あれも安倍さんの小さな決断だがあれが良いことだったのであろうか。あれは誰が見てもよくなかったが安倍首相の問題ではなく取り巻き助言者の問題であり、手作りマスクを皆で作りましょうと言えば200億以上もかけずに簡単に済んだ話である。しかしせっかくの好意であるので自分自身は今でも何回も洗いながらそのアベノマスクを使っている。
 緊急事態宣言の決断もしたがこれはどうだったのであろうか。結局お願いベースの対応しかできず何のために緊急事態宣言だったのかと振り返ってしまうが法律の立て付けが悪かったということだろうか。

 戊辰戦争で徳川慶喜は外国の力に頼らずに戦うことを決断せず大阪城から江戸へ密かに逃げ帰った。フランスの力を借りて徹底的に戦っていたら今の日本はなかった。内戦の混乱からインドや中国と同じ西洋列強の属国になっていたはずである。

 気になっていた『NHK BSプレミアム 昭和の選択「太平洋戦争 東条英機 開戦への煩悶」』をオンデマンドでもう一度見返してみた。首相になった東條は戦争回避を望む昭和天皇の意向を汲むべく国策再検討を指示した。開戦反対・賛成均衡し紛糾する中で開戦派の軍部や国民に有利な経済予想資料が提出されたことにより風向きが変わり議論は尽くされたとして東條は3点を選択肢に挙げて結論を求めたという。
第一案:戦争することなく臥薪嘗胆す、第2案:直ちに開戦を決意し戦争により解決す、第3案:戦争決意の下に作戦準備と外交を併行せしむ外交を成功せしむる様にやって見たい、この3点、これは当時の会議議事録に残っているという。 1か月の期限を切っての決定であれば天皇も軍統帥部も納得できるのではないかとのことで第3案を選択したという。
 この選択について他のコメンテイターは何を言っているか分からなかったが、磯田道史氏は前提の採り方への問題ではないかと言った。問題先送りの逃げの結論という。のちに東條は首相の責任の重さについて「近衛には悪いことをした、陸相として力が足りなかったのは反省している、首相になってみてそれが良く分かった」と言ったという。この時の東條首相は決断できなかったといえる。
 

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