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ビジョン・フィロソフィー・ミッション・理念等の違いについて
何らかの企業等集団の運営に当たっては理念を掲げることが大事とされている。自分でも小規模ながら病院運営に携わり退職後は小さな介護施設の運営にも携わった。そしていかにそれが大事であるかは身をもって実感してきた。更に現役の時は悉く上手くいかなかったことから学び退職後は少し効果が出たことも実感してきた(図1)。
しかし最近、理念だけでは足りないと思う何かの違和感があるので改めて調べてみた。
抑々トランプもプーチンも習主席も立派な理念は持ち合わせているはずである。でも何かがずれている。かつて原理研と言われた統一教会に係る政治家も気づいていながら気づかないふりして係わっていた筈なのはなぜか、50年前から自分でも違和感を感じていた。それぞれの政治家も立派な理念を持っているはずである。理念を導く何かが、社会と調和させる何かが、理念を制御する何かが、その上位にあればそれらへの違和感は生じないはずである。道徳感ともちがう、倫理感とも違う何かがあるような気がする。道徳感と倫理観との違いは後者が批判的吟味を必須とされていることであるともいう。
調べてみたらフィロソフィー・ミッション・理念等それらの言葉の定義や考え方は使う人によってバラバラであるようだ。バラバラであってもそれによってその企業の目指すベクトル(方向性と思いの強さ)の職員の意識統一できるのであれば何の問題もないとは思う。しかしながら理念だけではどうも足りないのではないかと最近感ずるようになったのは何故なのか。理念は企業の数だけ異なるものがあって良いものであるが、それを導く何かモラルのような指針がなければいわゆる反社会的なものも許されてしまいかねないと思うようになった。現に今ウクライナでもイスラエルでも戦争をしている。
改めてこれまで自分が四苦八苦して考えて実践してきたことをもとに纏めてみる。
・理念とは企業等のいわば家訓と言えるものである。家訓とはそれぞれの家の決まり事であり正邪善悪の枠は有っても無くても良い。その家族の意識の共有・アイデンティティを醸成するものである。家族の数だけ、企業の数だけそれぞれの理念があってしかるべきものである。戦国時代の毛利家の三矢の教えは良い例である。どうも国家も同様に考えた方がよさそうだ。
・ミッションがビジョンの上に位置するとの考えもあるようであるが自分はそうは思わない(D)。
・法体系では憲法がピラミッド体系のトップであるように、企業等組織運営のビジョンや理念等の捉え方もピラミッド体系であるべきである。多職種協働の捉え方がフラット体系であることと比べるとピラミッド体系は次元が全く異なる体系である。多職種協働がフラット体系でやっと機能するのとは対照的である。
a. いわゆる戦術(Tactics)は当面する目先の対応であり戦略(Strategy )はそれより大局的な視点での対応であるのは誰も異論はないものと思う。
b. 使命(Mission)と理念(Credo,idea)を同列に扱うことには大きな問題があるかもしれない。けれども使命が客観的な役割で、理念は主観的な役割であるとの捉え方には異論がないものと思う。使命から外れた理念を掲げれば抑々土台から崩れる。外れなければどちらが上位でも良いので自分は同列とした。この場合の使命は具現化された社会的な役割という捉え方であり、抽象性はない。
c. 哲学(Philosophy)とビジョン(Vision)を同列に捉えるかどうかの位置づけも大いに問題になる所である。使命(Mission)を具現化するための考え方と行動指針が哲学(Philosophy)であるという捉え方もあるようであるがこの捉え方では哲学は上位概念からは少し引き下がる。
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