日本呼吸器学会WEB視聴してー @
2024-04-20


2024/4/19 アサブロ

日本呼吸器学会WEB視聴してー @

<第64回日本呼吸器学会学術講演会2024/4/5-7。特別報告6 ダイバーシティ&インクルージョン:日本呼吸器学会と呼吸器科医の未来に向けて(将来計画委員会・DEI委員会)>をWEB参加で視聴した

 最初の演者の多賀谷悦子教授(東京女子医大)の講演は面白かった。自分よりも20年以上若い世代であるが、日々行っていたことは似たようなものだったので親しみも持てた。
 日々の多忙渦中では喜怒哀楽も辛さもその都度あったが、自分を見失わないように、溺れないように、がむしゃらに、一に勉強二に勉強、三・四が無くて五に勉強と何でも勉強勉強で知識欲はあったし体力もあった。夜に研究室の机の上で寝てそのまま出勤も平気だった。周りの仲間も同じように徹夜明けで目を赤くしながら外来診療するのも稀ではなかった。患者はいつ来るか分からず夜討ち朝駆けが当たり前だった。辛いなんという感情は捨てていた。目の前に出てくるものに制限を設けずあるがままに何でも受け入れたり聞いたり真似したりしていたせいか最も効率的な学習も遊びも周りからの耳学問・良くも悪くも他山の石であった。患者には感謝されるし充実感もあった。消化器検査はレントゲンも内視鏡もスクリーニング検査は内科の基本との当然の認識であったし、呼吸器内視鏡は当たり前で右心カテやペースメーカーも自分で入れていた。一時ペースメーカー留置でパーマネントへのつなぎであるが随分助かった患者もいたと自負している。肝臓や腎臓等同じ大事な臓器でも数分一休みしても大丈夫な臓器と違って心臓は数分止まれば永遠に止まることにつながるという違いがあるからである。診察は患者が診察室に入る様子観察から始まる、君たち専門馬鹿にはなるなよとは恩師の言葉で、目指すは富士山のような高い専門性と幅広い総合性であり小さな築山ではなかった。
次から次へと新しい疾患に出会うのでゆっくり振り返える余裕はなかったが気持ちは充実していた。おかげで家族には迷惑をかけた。我が幼子が脚に行かないでとまわりつき笑顔で突き放して出勤するのは当たり前で勲章とされた。後年、あの時はお父さんに捨てられたと本当に思った、とそれとなく言われた時はそうだったのかと内心愕然とした。でもその位やらないとやるべき役割は果たせなかったと今でも思う。おかげでこてんと何度か倒れても幸いまた復活して今まだ生きている。大戦前なら何度か死んでいると思っているので運が良かった。上記の演者も嫌だと思っても仕事にリミテーションを設けなかったのが後年役に立ったと言っていたのが印象的であった。

今回の呼吸器学会総会で男女共同参画委員会がDEI委員会に名称変更されたことが報告された。名称変更した理由・この名称になった理由について調べてみたが下記@の説明が理解しやすいようだ。
日本では1999年に「男女共同参画社会基本法」が公布・即施行されている。それを受けて多くの学会により男女共同参画委員会等が学会内に作られるようになっていた。そして今回DEI委員会に名称変更されたことになる。
人種差別や男女差別・障碍者差別等は良くない、多様性の受容は社会の存続に必須等と言われるようになって久しいが、現実社会では意識の奥に浸み込んだ無意識の差別は今でも相変わらず無くならない。男女共同参画→DI→DEI と言葉が変わってきているが、かつて医療事故防止委員会→医療安全委員会→医療安全管理委員会(平成10年代)に変わったのも同じような意識変遷の流れであろう。
DEI(DE&I, diversity equity and inclusion)とequity(公平・公正)が加わったのはアメリカが始まりといい、新自由主義やポピュリズムが受け入れられるようになりその後トランプ大統領も当選してあからさまな我田引水が抵抗もなく当たり前になり、Black-lives-Matter(黒人の命は大切だ)等の様々な事件・問題も社会に出てきた以降で、平等という概念の違和感に変わってequityが新規に追加されたのは最近で、未だ4-5年しか経っていないようだ(A)。

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